山羊、飴玉、そらまめ、金魚

ごくごく個人的な事情

みんな幸福村においでよ

 

 冷凍庫に溜まりに溜まっていたアイスクリームを、食べ始めることができるようになった。昨日は信玄餅アイス、今日は黒ゴマやわもちアイス、もちもちしたものが入っているカップアイスばかりが、行儀よく勢揃いしている。

 引っ越してから昨日まではずっと、どこか、生活の表面をなぞっただけのような、上っ面だけの、どこかに何かを忘れてきてしまったがそれが何かを思い出せないような、そんな気持ちで暮らしていた。

 家に誰かを招待しても、部屋を見られることへの抵抗は少なくて、それは「これが自分の生活空間である」と暗に他人に表明しているという意識が希薄だったからなのかもしれない。

 アイスクリームを買うだけ買って、全く手をつけていなかったのも、きっとそういう理由から。深夜に遠方のコンビニまで車を走らせて、アイスクリームだけを買って店を出る。

”アイスならきっといつかは食べるだろう、これが溶け切ってしまうまでには家に帰ろうかな”

  もちもちとした食感でもなく、とろけるような甘さでもなく、体が帯びた熱に対抗するための冷たさでもなく、こんな仄暗い動機でショーケースから取り出されるカップの抱く選民思想

 

 大型ショッピングモールの片隅にある、その場には似つかわしくない、ピカピカしていない古びた雑貨屋で、触れている物の温度で色が変化する指輪を買った。

  気温に適応するのが難しすぎる。今日だって、久々に上下揃ったスーツを着て出席しなければならない会合に、春だからね~途中まで車移動だし~、と上に何も羽織らずに出かけたら、そんな恰好でいるのは私だけだった。皆スプリングコートやらなんやらしっかりと着込んでいるし、しまいには「今朝冬用のコートを引っ張り出したよ、あなた寒そうだね、私の手袋使う?」と心配までされる始末。手袋て、こちとら春を生きとるんじゃ。めちゃくちゃに寒かった。

 そんな調子だから、自分の体の冷えにも鈍感なんだけれど、この変色自在の指輪をはめてさえいれば手先の体温が視認できる。さらに職場には付けていけない目立ち具合で、気持ちを切り替えるのにもちょうど良いかな、と。まーたあんたはメタメタことばっかり考えて、とどこかにいるであろうお母さんに怒られてしまう。

 

 やっと生活の実感が湧いてきた。今日は頑張ったからご褒美にもちもちしたアイスを食べた、指輪が黒い、どうやら冷えているようだ、暖房でもつけようか。