山羊、飴玉、そらまめ、金魚

ごくごく個人的な事情

NAKAMAWAREの中にはWAKAREがありますか

 最近、あらゆる"別れ"についてよく考える。

 その理由は簡単で、仕事の都合で2月に初めて、生まれ育った関西を離れ、別の地方のどこかで一人暮らしを始めるからだ。まだ具体的な街の名前は決まってはいないのだけれど、大きく環境が変わることは間違いなくて、不安がむくむくと順調に育ってきているし、もはや蔓延っていると言っても過言ではない状態にまでなっている。
 この引っ越しは昨年の9月にはすでに予告されていたので、時間的にも余裕はあったし、心の準備は十分にできていたつもりだった。


 話は少し変わるけれど、私の性格には”生活には常に変化がないと耐えられない”という大きな特徴がある。毎日同じ時間に同じ場所に通う、というのが本当に苦手で、学生としての生活はとても辛かったし、今の仕事も場所はともかく、時間の不規則性は大きいものを選んだ。


 だから昨年、もっと変化と刺激がほしい、と色々な人と出会い続けていた時期があった。変化と刺激を求めるのにこの方法が最適だったとは思わないけれど、この時期はこれしかできなかったので許されたいとは思う。
 現代はインターネットを使えば簡単に出会いが作れるので、こういう時にとても便利だ。連絡先を書いた怪文書を、公衆トイレのドアに貼ったり雑誌の読者コーナーに投稿したりデパートの屋上からばらまいたりしなくて済む。
 そこでの出会いが良かったのか悪かったのかは未だに自分でも判断しかねているけれど、おおむね楽しかったし大方の皆のことをだいたい好きになれたので、きっと「これで良かった」と思い込む日もいつか来るのだと思う。ほとんどに該当しない人のことは大好きになった。2019年を迎えた今、交流は並べて消えた。


 そこで”別れ”の話に戻る。
 人間関係に限らず、色々なものと別れをしなければならない状況に追い込まれて、ひとつひとつ、どういう別れを演出すれば満足できるかな、と考えている。
 演出を考える時間があるという点で、自分は良い状況だなとも思うけれども、考えている間に鬱々としてくる対象もあるので、一長一短ではある。でも唐突な別れは嫌だし、今までそのように考えての別れを経験したことがないこともあって、期せず生活への良い刺激になっている。
 泣きすがってやろうか、笑って手を振ろうか、相手が眠っている間に置き手紙を残しておこうか、旅先で相手のために選んだ文庫本に一輪の花を添えて置こうか、それとも相手が気が付かないうちに私の存在の痕跡をすべて消しておこうか。どれも自己満足にしか過ぎないのだけれど。


 明日は職場の方達との送別会があるので、とりあえず涙の一つでも見せてやろうかと意気込んでいる。