山羊、飴玉、そらまめ、金魚

ごくごく個人的な事情

年の瀬のとりとめのない話

12月29日(土)

大学の友人2人と一緒に食事へ行った。

私は学生の頃と同じように、財布とスマホだけをポケットに入れてふらふらと出掛けて行ったのだけれど、2人とも「旅行に行ったから」「これ8ちゃんに似合うと思ったから」と手土産を用意してくれていて、成長できていないのは私だけなのか、と出会って早々に少し寂しく思ってしまった。けれど、「私に似合うと思って」と選んでくれたハンカチはめちゃくちゃな色遣いと模様で、めちゃくちゃな色遣いと模様の服装でしか外に出られなかった大学生だった私の印象は変わっていないんだ、とも感じた。変わらないものの存在を確認する。

魚と日本酒の美味しいお店で、まだ明るい時間から、魚と日本酒をたらふく食べて飲んだ。手から海の匂い、嫌な方の海の匂い、朝の潮騒の軽やかで爽やかな気配ではなく、昼過ぎの磯の粘着質で重い想い。海のある地域に住んだことがないので、これは全て妄想、妄想の海。知らんけど。

店を出て、ひたすらに歩く。甘くて温かいものが食べたいな、というリクエストに応えて、都会のティーショップでケーキと紅茶とアイスクリームを食べて飲んで食べた。甘いものは良い。心も甘くなる。甘くなった舌と心で、友達を口説こうとしたら断られた。

もう少しお酒を、ということで、またひたすらに歩いてオフィス街のパブへ。結婚についての考え方について話す。このブログに書いた私の考えを見せると、2人は内容については全く言及せずに、ただただ文章を褒めてくれた。この人達は学生時代からずっと、私の文章を褒めてくれる。満点の答案用紙を見せたときのお母さんより、褒めてくれる。ありがたい礼賛。

終電車の時間がきたので、また春休みにね、と言い合いながら友人達と別れた。全員が教育に関わる仕事をしているので、予定の合うお休みが学校の長期休暇と重なることが多く、「次は春休みor夏休みor冬休みにまた会おうね!」といつも言っている気がする。可愛い3人組だな。

 

 

12月30日(日)

一緒に岩盤浴に行こう、と約束していた後輩から、「急遽彼氏と会えることになったのでごめんなさい!」と言って当日の朝に断られた。愛に生きている。彼女が浮気をしていることも知っているけれど、何の話をしても結局は彼氏との惚気話になるので、愛なのかな、といつも思っている。私も愛に生きていたい。「愛には救いが無い、救いが無いのが愛」という話をフォロワーとしたのを思い出した。愛について考え続けていた下半期だったな、とも思う。

後輩と行く予定だったスーパー銭湯に、母と行った。母が「最近なんだか気持ちが鬱々としている。うつ病なのかもしれない。」と言い始めたので、少しでも気持ちを晴らしてほしい、と思いながら母に車を運転してもらった。私は筋金入りのペーパードライバー。

岩盤浴は良いものだった。体を温めるのは無条件に良いこと。


温まった体を布団に横たえ、さあ眠ろうとしたときに気が付いた。

ぬいぐるみのお尻から綿がはみ出している。

自分でも驚くほどにうろたえてしまい、少し泣いてしまいもした。お気に入りの羊のぬいぐるみで、ここ数年ずっと抱きしめて眠っていたのに、私は、私は。

うろたえぶりがよく分かる、私のツイート群。

 

 

12月31日(月)

羊くんに対して、「君のお尻に穴が空いて綿が少しはみ出てしまっても、可愛くて愛しい存在には変わりがないし、このまま一緒に眠り続けて徐々に摩耗していこうね」という気持ちに切り替わった。自分の手で直そう、という気持ちにはならない、なぜだろう。”ずっと”という言葉が信じられないからかもしれない。来年こそ、その言葉を信じられるようになって、色々な人の愛にもう少し応じてあげられるようになっているのかもしれない、そうなりたい。あと4時間と少しで、2018年が終わって来年になりますが。