山羊、飴玉、そらまめ、金魚

ごくごく個人的な事情

怪奇!春が怖い女とキュウリ男!

 2月になった。

 宮沢賢治春と修羅』を読んでいる。その中の、冬に書かれたであろう作品を撫でながら、東北の2月、厳しいであろう冬の寒さに思いを馳せる。

 

 現代の東京では、あれ?今日は寒くないね?と感じる日が増えてきた。実際は、まだまだ寒い日が「これこそが三寒四温でござい!」と待ち受けているのだろうが、ほんのりとした暖かさから、春の足音を微かにでも感じる日が増えてきたことは確かだ。

 

 私はこの暖かさを恨めしく思っている。

 まだ冬であってほしい。

 

 今年は暖冬だと言われてはいたが、東京でも雪がチラつくような寒い日がいくらかあった、来週もあるらしい。いつも通りに暖房をつけているはずなのに、どうしてか冷える。窓から伝わってくる冷気がズボンと靴下の隙間から刺さる。なんだか外の空気が重く静かな気がする。一体全体、なんだろうかと思ってカーテンに手をかけると、見慣れない白いものが舞っている。そんな寒さがもっと続いていてほしい。

 

 寒さが好きだからだというのは、もちろんある。

 外の空気と気持ちが引き締まる、生き物のあたたかさがうれしい、冬のファッションの組み合わせが楽しい、潤いを保つためのスキンケアが楽しい、結露して溜まった水の饐えたような香り、こたつ布団の中で絡まる手と足、ガスストーブの上に置かれっぱなし湧きっぱなしのやかん、焼かれている豆餅の香ばしさ、赤と緑とで浮かれた街!

 一番好きな季節は?という質問に対しての答えは秋だが、秋が好きだという理由も、物寂しさと併せて、だんだんと寒くなっていく様を感じていられるのが嬉しい、というものだ。

 私は極寒地域や雪国の生まれ育ちではないから、何を甘っちょろいことを抜かすかこんなもん冬ではないわ!とイマジナリー親父から怒られてしまうかもしれないが、それでも地元や東京の寒さと冬が好きだ。

 

 だが、寒い冬が好きだという以上の理由が、あるような気がする。

 こんな風に季節の移り変わりを名残惜しく思ったのは、昨年が初めてのことだった。

 

 

 まだ夏に取り残されていたい、冬が続いていてほしい、

 

 つまるところ、今、生きていることが楽しすぎる。

 

 おそらく春になっても、夏になっても、まだまだこの楽しさは続いていくのだろうという予感めいたものはあり、実のところ、まだ経験したことのない人生の大きなイベントが控えている。

 だが、保証は無い。人生にあった試しがないし、無いからこそ楽しいのだが、不安に思わないと言えば嘘になる。

 少なくとも今は楽しいのだから、過ぎ去らないでくれと祈ってしまう。

 

 

 掌を返そうか。

 どうしたって、季節は過ぎる。今が楽しい、去らないでほしい、でもそれが本当に一番なのか?

 いや、掌返しはしない。縦にしよう、チョップ!

 

 

 「きっと今が一番楽しい時期ですね」と、私の様子を見ていた仲の良い同僚に言われ、ものすごく驚いた。一番かどうだかなんて、

ヌートリアとパフィン、どちらがより良い生き物か? ”

なんて問い掛けるのと同じくらい比べようがない。

 いつだって楽しもうと思えば楽しめるし、30歳の今とは楽しみ方は変わるかもしれないが、そうやって楽しんでいける相手としか深い関係を築けない。

 幼児を連れた親に対して言われる「今が一番かわいい時期だね」と同じ類の言葉のように思う。知らんけど。

 

 

 

 あ、野菜と果物だけは夏の露地ものが好き。 

 楽しんで、遊び尽くす。世界を広げる。