山羊、飴玉、そらまめ、金魚

ごくごく個人的な事情

煙草はピースライト、たまにショートホープ

最後にこのブログに投稿してから、いつの間にか4年近くが経っていた。

その間に当然4つ歳を重ね、住む場所も仕事も変え、とてつもなく大きな喪失をも経験した。

 

この喪失についてはTwitter(未だペケマークに慣れることができていない)にも書いた通りで、

 

 

何年も掛けて、下手をすれば一生を投じて、じっくりと消化しなければならない物事の短いリストに加わったため、まだここで文字に起こすことはできない。

が、100均の片隅で埃をかぶっている何も消せない消しゴムと呼ぶにも躊躇う塊から始めて、小学生男子がこぞって机にこすりつけるのに熱中していた練り消しくらいにまでは、懐柔することができているような気がしている。

この先、幼馴染の家の洗面所に流してこっぴどく叱られたスライムくらいにまで引き伸ばすことができれば、文字にも起こしてみたいと思う。

 

 

今年の12月で30歳になる。

こんな30歳がいて堪るかと怒鳴りたくなるような、あらあら今時の30歳って若いのねえとイマジナリーくそマダムに嫌味を言われるような、そんな程度の知れた人間だが、生年月日は努力では変えられない。

 

少し年上の友人や同僚や先輩たちから、”30歳になるとは”という題目を、折に触れて聞かされてきた。

もう少し年上の友人や同僚や先輩たちからは、「40歳を迎えることには、そこまでの感慨はない」とも聞かされた。

私としては、傍からは上記のように頼りなくみられるかもしれないというのは百も承知の上で、「○○歳だから」と行動を年齢に紐づけて縛られてしまうのは嫌でその時に感じたように舵を切りたいと思い続けてきた。しかし、こうやって若さについて当事者として考えられる期間が一生のうちで今しかないのならば、あえて全力で乗っかってみるのも楽しくて良いかもしれないとも思い(結局は楽しいと思う方に顔を向けただけだが)、楽しく悶々と思い悩むようにしている。

 

一つの節目として、楽しく悶々とするための材料として、ここまでの人生を振り返る機会が増えた。特に、本・音楽・映画など、いわゆる鑑賞と呼ばれる行為について。作品や作家の名前を具体的に挙げることで、勝手に象徴してもらった気になれるからかしら。

 

それらを記録として残しておこうと思い、4年ぶりにブログの編集画面を開いた。

 

が、書いている途中であまりにも恥ずかしくなったので、すべて消した。

 

ことごとくメインカルチャーを経由できていない。あえて避けてきたのではなく、気が付いたらここに居た。サブカルを気取っていた時期もあったが、それしか知らないだけだった。好きなものを好きだという気持ちに変わりはないということは前提としつつ、恥ずかしい。

 

けれども、きっと多くの人が“それしか知らない”状態だった時期がありその最大公約数がメインカルチャーになるのかな、と3秒で思い直すことができた。

いいじゃん、30歳。