山羊、飴玉、そらまめ、金魚

ごくごく個人的な事情

さくらんぼの種の味

11月7日

 昨日、リビングにこたつを出した。

 私が購入した家具ではなく、同居する恋人が新居に持ち込んだ物だ。7月に引越をしたばかりなので、これが、この家で迎える初めての冬である。

 普段は家事ひとつひとつに腰が重い恋人も(家事は完全分担制なので自分の担当分はこなすが)、そろそろこたつを出そうか、と私が口にした途端、何も言わないながらもいそいそと押し入れからこたつ布団を取り出してくる。そういうところが愛おしい。

 こういうときに「決して口には出さないが」と接頭することが多いかもしれないが、私は言う、どんどん言う。照れなんかはもう捨てたつもりで、「かわいい」も「かっこいい」も「素敵だ」も「大好き」も「愛おしい」も「愛してる」も、じゃんじゃか言う。これだけは変わらないだろうと相手への気持ちを互いに確認して始めた同居だが、30年も自分をやっていると、自身が変化を求め続ける性格であるといい加減に分かってきているので、とにかく今を大切にしたくって、言う。

 こたつが設置され、肩を並べて暖まる。一緒に“ 涼む ”よりも一緒に“ 暖まる ”の方が、ずっと心強く感じる。

 これからはこうやって日々を過ごしていくんだな、悪くないな、白黒やセピア色の未来だけが眼前にあったが意外とオレンジや赤・ピンクにも馴染めるじゃないか、と日常を噛みしめる。味にすっかり飽きてしまうまで、もしくは味がしなくなるまで、噛んでやる。

 

 

*****

12月24日

 

 

 仰向けで眠れると、なんだか許されたような気持ちになる。

 物心ついた頃から眠るのが苦手だという自覚があり、独り立ちしてからは病院にかかろうかとも何度も考えたが、踏ん切りのつかないまま何となくここまで過ごしてしまった。

 寝入るのに苦労していた数年前までは、仰向けでは落ち着かず、枕の下に腕を挟んでのうつ伏せか、左側を下にして横向きでしか眠れなかった。人体の構造的には仰向けが良いらしいと朧気な知識はありつつも、どうにも寂しさが余計に募る気がして、同衾するとしないとを問わず、横向きやうつ伏せにならないと夢に迎え入れてもらえなかった。

 が、ここ1年ほどでいつの間にか、ベッドに仰向けで横たわり、そのまま何も苦に思うことなく眠りに落ちることができるようになっていた。

 このことに気が付き、嬉しく思うよりも先に「許された……!」と表出した。

 誰に” 許された ”のか? どうして“ 許されない ”状況にあったのか? 私のどの言動が” 許されなかった ”のか? 私は“ 許されたい ”と望んでいたのか?

 

 「許し」という文言について、最近よく考える。

 「赦し」と表記する方が、私がイメージしている内容には近付いていけるのだろうとも思うが、まだ大して考えを進められていないという罪悪感があり、その表記を用いることすら躊躇われる。

 宗教的な分野にも明るくないため、“ 原罪 ”から紐解こうと試みても上手くいかない。

 それでも「許されたい」という思いが私の中に少なくはない質量を持って確実に存在し、ここ1年ほどの間に「許された」と感じる場面がいくつもある。

 

 「過去の自分に許されたのだ」と述べてお終いにしてしまうのは簡単だが、それではもったいない。

 

 噛んで、咀嚼して、味わい尽くして、暮らしていく。