山羊、飴玉、そらまめ、金魚

ごくごく個人的な事情

”冷え”に由来するあれこれ

両足で7000円の、足首ウォーマーを買った。

片足でも3500円。普段履きの靴よりも断然お高い。

経済的にものすごく余裕のある生活をしているわけではないのだけれど、これくらいの贅沢は許されるくらいには働いていると信じたい。

 

私の働いている店で毎冬に販売される商品の、今年限定のペイズリー柄

これだけでも、買い物だけを楽しみに生きる一部の人にはとっても魅力的に聞こえるだろうけれど、私が購入したのには他に理由が3つある。おおまかに言えば全部”冷え”に由来するものではあるのだけれど。

 

一つ目。

母から「体毛が濃くなるのは、体が冷えているかららしいよ。」と言われたこと。

前々から私の母は、私の体のあらゆる”毛”に関して、なぜか手厳しかった。

少しでも露出の多い服装をして出掛けようとすれば、「行ってらっしゃい」の前に「ムダ毛の処理はちゃんとした?」と尋ねるし、ド天然パーマの私の毛髪を触っては「髪の毛がお父さんに似てしまってかわいそうに…」と嘆くしで、母の”毛”に関する発言には慣れていたのだけれど、最近遂にいっぱしの恋する人間になった私は、濃さに言及されてドキッとした。ので、少しでも体を温めようかな、と考えた。

 

二つ目。

2カ月後から、仕事の都合で地方に引っ越し一人暮らしをすることが決まっている。”地方”と書くと、今は首都に住んでいるのか、と思われそうだが、決してそうではなくて、現在と比較して田舎になるんだろうなーという曖昧な推測に基づいているので、あまり気にしないでほしい。今住んでいる出身地も、よく「底冷えする」と評される地域ではあるけれど、豪雪地帯に比べればぬるま湯のように感じる程度だろうと思うので、予想される寒さへの対策として少しでも良い防寒具を揃えておきたいな、と考えた。

 

三つ目。

ここまで書いている間に忘れた。

けれども、さっそく足首ウォーマーを装着して書いているので、足元はぽかぽか。

ぬくぬくハッピー。

 

 

三連休とその後の一日

大学の頃の後輩と銭湯に行った。

連休初日の夜、裸体で混み合う露天風呂に浸かりながら、お互いの近況を話す。

後輩はまだ学生で、最近、来年の卒業式の日に講堂の前でプロポーズをしてもらうという約束を、彼氏としたらしい。

「大学には友達が少なくて知らない人ばっかりだから、全くの他人に自分の幸せを見せ付けられるし、元々がおめでたい場だから皆に祝ってもらえる。」と、この方法をリクエストした理由について彼女は語っていた。

彼女の願望と、そう願う理由には驚いたけれど、それは私には関係ないので置いておくとして、ここから互いの結婚についての話になった。

私の交遊関係について私よりも把握している彼女は、「結婚とかする気ないんでしょ?」と半分笑いながら言ったけれど、結婚願望はきちんと持っているし、いつかは自分の姓を手放すことになるんだろうな、とおぼろげに考えることもある。

 「結婚はしたいよ」と返すと、「なんで?」と聞き返されて、「そうでもしないと私なんか一生ふらふらしてそうだからね」とかなんとか言った気がするけれど、明確には答えられなかった。

 

こういう会話をした翌日、ふらふらしていた相手の一人からデート中に「彼氏になってもいいか?」と言われて、まあ断る理由もないしなあ、とそんなつもりは全くなかったのに何となく了承してしまった。私の良くないところが出た。

その男性は私がふらふらしているのは知っていてそれでも、という点が唯一の救いかな、と思いながら、今の状態を変える気が全くない自分に驚いた。

「結婚という書類上の契約でもしなければ、いよいよずっとこのままなんじゃないか」と恐ろしく思う気持ちと、「結婚したからといって何が変わるもんか」とやけっぱちになる気持ちとが混ざり合って、ぐちゃぐちゃになっていた。ここまでが連休最終日。

 

連休明け、

このツイートをタイムラインで見かけて、自分にとっての結婚とは何か、と考えた。

 

ただ一人の愛する人と添い遂げたい、という思いはない。好きな人が多すぎる。

誰かの扶養に入りたい、と全く思わないと言えば嘘になる。働きたくないと思う日もある。

上記ツイートのような、”居心地のいい他人”は、今でも何人かいる。

 

ここまで考えていて、自分の中には「許されたい」という思いがあることに気が付いた。

 

幸せなものというイメージの強い結婚を、私がしてもいいんだ

結婚相手となら、どれだけデートしていても、どんなセックスをいくらしていても、誰からも咎められないんだ

誰かにとってのただ一人になっていいんだ

 

こういう「許されたい」思いがぎゅっとつまっているのが、私の「結婚したい」という願望だった。

 

正直に言うと、好きな誰かから書類上の契約として縛られている という状況に興奮する、というのも少なからずある。